私がワーキングホリデーでオーストラリアへ渡ったのは、年齢制限ぎりぎり。
本当に滑り込みセーフでした。
けれど、その渡航は「海外に行ってみたい」という軽い憧れだけではありませんでした。
私には、はっきりとした目標がありました。
複雑な環境で育った私は、ずっと思っていたのです。
人生を一度リセットしたい。
そして、もしできるなら――
海外で第二の人生を始めたい。
その第一歩が、オーストラリアでした。
ワーキングホリデーで働きながらお金を貯め、次は学生ビザを取得して進学する。
そして最終的には、この国で暮らしていく。
そんな未来を、本気で描いていました。
生活はとても充実していました。
昼や夜は、フレンチレストランでウェイトレスとして働き、
もう一つの仕事は、少し変わったものでした。
私は子どもの頃からスケッチが得意で、絵を描くことが好きでした。
そこでメルボルンで正式な許可を取り、ストリートアーティストとして路上で絵を描き販売していたのです。
道ゆく人が足を止め、絵を見てくれる。
気に入ってくれた人が、その場で買ってくれる。
それだけで、十分な収入になりました。
進学のための資金も、少しずつ確実に貯まっていきました。
友達もたくさんできました。
アメリカ人、カナダ人、ヨーロッパから来た人、韓国人。
国籍も文化も違うのに、なぜかすぐ打ち解けられる。
時には泊まりがけで小さな旅行に出かけることもありました。
私の住まいは、一軒家。
オーストラリア人の女性のルームメイトと、そして一匹の猫。
穏やかな空気の中で暮らす毎日でした。
不自由なことは、何一つありませんでした。
むしろ――
毎日が新しく、毎日が楽しかった。
人生には、まだまだ可能性がある。
そう思わせてくれる日々でした。
ところが、ある日。
体に小さな違和感を覚えました。
何となく気になり、ルームメイトに相談すると、
「一度病院で診てもらった方がいい」と言われました。
そこで、がんの検査を受けることになります。
そのときは、まだ一人でした。
けれど、結果を聞きに行く日。
私はどうしても怖くなり、オーストラリア人の友達二人に付き添ってもらいました。
そして――
医師は静かに言いました。
「あなたは、がんです。」
その瞬間から、
私の人生は、まったく別の方向へ進み始めたのです。
ここから、
私の絶望の日々が始まりました。
