もう、以前と同じ人生には戻れないということ。
日本へ戻った日の不安
オーストラリアを離れ、日本へ帰る決断をしたとき、私の胸の内には言葉にしようのない不安が広がっていた。
これから自分の人生がどうなっていくのか。
正直なところ、まったく想像がつかなかった。
帰国すればすぐに治療が始まる。
そう単純に考えていたわけではない。けれど、日本に戻れば何かしら道が開けるのではないかという、わずかな希望もあった。
しかし現実には、考えなければならないことが山のようにあった。
まずは住まい。
そして病院探し。
さらに仕事も見つけなければならない。
日本で治療を受けるためには保険の手続きも必要になる。
がん治療は高額になる可能性が高く、日本の医療制度や高額療養費制度についても、一つ一つ調べなければならなかった。
未来が不透明なまま、日本での新しい生活が始まった。
小谷さん一家との生活
帰国してすぐの頃、私は小谷さんというご家族の家に身を寄せることになっていた。
小谷さんは、私が初めてカナダへ行ったときにお世話になった留学エージェントの方で、以前から親しくしてくださっていた。
とはいえ、いつまでも甘えているわけにはいかない。
自分の生活を立て直さなければならないという思いは強くあった。
本来なら、ゆっくり休む時間があってもよかったのかもしれない。
家族のもとで穏やかに過ごしながら、心と体を整えて治療に向き合う。そんな環境があればどれほど救われただろうと思う。
けれど、私にはそれができなかった。
家族とはすでに疎遠になっており、連絡をするには抵抗があった。
頼れる場所は、ほとんどなかった。
そんな私を、小谷さん一家は温かく迎えてくれた。
家には三人の子どもがいた。
小学生が二人、そして保育園に通う小さな子が一人。
子どもたちには、私が病気になって帰国することが伝えられていたようだった。
それでも彼らは特別なことを言うわけでもなく、普段と変わらない距離で接してくれた。
ただ、その様子を見ていると、まだ幼いながらも空気を読んでいることが伝わってくる。
子どもたちなりに、何かを感じ取っているのだろう。
そのさりげない優しさに、私は何度も救われた。
想像以上に難航した病院探し
しかし、現実は決して簡単ではなかった。
病院探しは想像以上に難航した。
いくつもの医療機関に問い合わせをしたが、返ってくる答えはほとんど同じだった。
「すでに海外で治療を受けている患者さんの受け入れは難しい」
電話の段階で断られてしまうことも少なくなかった。
そのたびに、胸の奥に小さな重みが積み重なっていく。
日本に戻れば治療が受けられる。
どこかでそう信じていた自分がいた。
けれど現実はそう簡単ではなかった。
このまま日本でも治療を受けられないのではないか。
そんな不安が、日を追うごとに大きくなっていった。
病院探しには、結局一か月ほどの時間がかかった。
問い合わせを重ねるうちに、心のどこかで思うようになっていた。
どうせ無理なのではないか。
いっそ、もう諦めるしかないのではないか、と。
そんなとき、小谷さんが見つけてくれたのが
淀川キリスト教病院だった。
この病院との出会いについては、後の章で改めて書こうと思う。
治療費のための仕事探し
病院探しと並行して、私は仕事も探していた。
派遣会社に登録し、いくつか条件を決めた。
できるだけ時給が高いこと。
そして治療のため平日に休みが取れること。
治療と仕事を両立させるためには、その条件がどうしても必要だった。
街を歩いていると、通勤する人たちの姿が目に入る。
満員電車へ急ぐ人たち。
忙しそうに職場へ向かう人の流れ。
そんな光景を見るたびに思った。
私も働きたい。
医療費を稼ぐためにも、早く仕事を見つけたい。
朝、職場へ行き、
「おはようございます」と挨拶をする。
そんな当たり前の日常を、私はもう一度取り戻したかった。
オーストラリアへ行く前、私は仕事に対して前向きとは言えなかった。
けれど、このとき初めて気づいた。
働く場所があるということ。
それは決して当たり前ではないのだと。
フードコートで受けた二度目の宣告
やがて、淀川キリスト教病院で診察を受けることになった。
海外で治療を受けていた患者でも継続して診ることは可能だという。
その言葉を聞いたとき、胸の奥に小さな安堵が広がった。
いくつかの検査を受けた。
そしてある日、私はショッピングセンターのフードコートにいた。
人々が食事をし、子どもたちが笑いながら走り回っている。
そんな、ごく普通の光景の中でケータイが鳴った。
病院の主治医(國久先生)からだった。
検査結果について話があるという。
電話を耳に当てたまま、私はその場で立ち止まった。
國久先生の声は落ち着いていた。
そして静かに告げられた。
「がんは、転移しています。」
その瞬間、周囲のざわめきが遠くに聞こえた。
人々はいつも通り食事をし、会話をしている。
世界は何一つ変わっていない。
それなのに、私の人生だけが再び大きく揺れ動いていた。
それは、事実上
二度目の宣告だった。

