週5日、働きながらの治療
コールセンターでの新しい仕事
私は派遣社員として、コールセンターで働くことになった。
自宅からは私鉄と地下鉄を乗り継いで片道40分の大阪市内のビジネス街。
事前研修は、渡された書類を各自で黙読しておくという簡単なものだった。
初めてみる専門用語も多々ある。でも高時給。同期の採用は20人ほどいた。繁忙期による増員との事。
実際の業務内容は、想像していたよりもはるかに頭の回転の速さを必要とされ、同期のうち数名が一週間ほどで来なくなった事を記憶している。
職場の雰囲気はどこか張り詰めていて、ゆっくり考える時間はほとんどない。
コールセンターではあるものの、できるだけ保留を使わず、その場で即答することが求められる。
電話を置けば、すぐに次の電話が鳴る。
息をつく暇もなく、次々と対応が続く。
休憩時間を取ることさえ難しいほど、常に時間に追われる職場だった。
それでも、初出勤の日の気持ちは今でもはっきり覚えている。
これで医療費を稼ぐことができる。
その思いが、私にとっては何よりの希望だった。
貯金が減り続けていく状況の中で、「働ける」という事実が、大きな支えになっていた。
抗がん剤治療の始まり
抗がん剤治療が始まったのは、その職場で働き始めてから三週間後のことだった。
人生で初めて受ける抗がん剤治療だった。
治療が始まる前、私は1000円カットで髪をすでに坊主にしてもらった。
そのため初出勤のときには、すでにセミロングのウィッグをつけていた。
おしゃれな黒髪で、一つ12,000円ほどだったと思う。替えの分として同じものを二つ買っていた。一か月の美容院代よりも高いなと思いつつ、これは外せない出費だ。
急に髪型が変わると周囲に違和感を持たれてしまうと思ったからだ。
抗がん剤を受けた当日は、夜までは比較的普通に過ごすことができる。
けれど深夜になると、体に異変が現れ始める。
強い吐き気。
頭に電流が流れるような痛み。
言葉にできないほどのつらさ。
立ち上がることさえできないこともある。
何度も、救急車を呼ぼうかと考えた。
当時流行していたフェイスブックに、思わず弱音を書き込んでしまったこともあった。
治療と仕事を両立する日々
私は派遣会社に、三週間に一度、通院のため平日に休みが必要であることを伝えていた。
抗がん剤治療は三週間おきの金曜日。
その日は休みを取り、土日で体を休める。
そして月曜日には、できる限り出勤するようにしていた。
けれど、どうしても体が動かない月曜日もあった。
抗がん剤の副作用は想像以上に厳しかった。
トイレに行くと、排泄がうまくできないことがある。これも副作用の一つだった。
突然大量の汗をかいたり、吐き気に襲われたりして、10分ほど職場に戻れないことも日に日に増えていった。
それが何度も続いたある日、直属の上司に呼び出された。
私は正直に事情を説明した。
抗がん剤治療を受けながら働いていることを。
すると上司は、少し厳しい口調でこう言った。
「みんな何かを抱えて頑張っとんねん。
自分だけが特別やと思ったらあかんわ。」
その言葉を聞き、私は唇をかみしめた。
確かに、その通りなのかもしれない。
そう思いながらも、胸の奥が少し痛んだ。それでも、心のどこかで「私には頼れる親族がいないんだよ」と惨めさもこみ上げてきた。
初めて打ち明けた病気のこと
私は職場では、直属の上司以外には病気のことを隠せていると思っていた。
しかしある日、抗がん剤の副作用で体調が急激に悪くなり、仕事中に倒れてしまった。
これは薬代を節約しようとして、服用をしない事があったから自分の落ち度だとは思う。
会社の休憩室で休ませてもらっていると、部署を管理している上の立場の方が様子を見に来てくれた。40代前半くらいの凛とした女性だ。
私はそのとき、初めて病気のことを打ち明けた。
・抗がん剤治療をしていること。
・副作用でトイレに時間がかかってしまうこと。
・真夏なのに長袖を着ているのは、
抗がん剤の点滴で広範囲に青あざがあること。
申し訳なさでいっぱいになり、涙がこぼれた。
おそらく、本当は誰かにわかってほしいと
助けを求めていたのかもしれない。
するとその上司は、静かにこう言った。
「知らんかった。ごめんね。
そんな状態でよく出勤して頑張ってるね。ありがとう」
トイレが長くなることは気になっていたけれど、事情を知って理解できた、と。
そしてこう続けた。
「会社として私たちに何かできることはある?」
その言葉が、本当に嬉しかった。
私は答えた。
「働かせてもらえれば、それで十分です。」
けれど上司は首を振った。
「物理的にできることがあるはずだから、遠慮せず言ってください。」
そこで私は正直にお願いをした。
・急に体温が上がることがあるので、小さな扇風機を置いてほしいこと。
・ウィッグが周囲に気づかれるのが怖いので、できれば席を端にしてほしいこと。
その二つだった。
すると翌日、出勤したときにはすでに私の席は人があまり通らない場所に移されていた。
私の席の近くには、小さな扇風機が置かれていた。
朝礼では「今日からさつきさんには業務が増えるので、席替えしてます~」と
さらっと告知してくれた。優しい嘘だ。
言葉にできないほど嬉しかった。
職場で起きた出来事「それ、かつらやろ?」
ある日の夕方。
仕事終わりに、その日の対応を振り返るミーティングが開かれていた。
コールセンターではよくある、簡単な反省会のような時間だった。
その日も二十人ほどのスタッフが集まり、順番に意見を言っていた。
そのときだった。
一人の派遣社員の女性が、突然こちらを見て言った。
「さつきさんって、いつも顔色悪ない?眉毛もめっちゃ薄いしな」
場の空気が少しざわつく。
そしてその女性は、さらに続けた。
「なんか、髪の毛もなんか不自然やし。
それ、カツラなんちゃうの?」と少し笑っている。
一瞬で、空気が凍りついた。
その場にいた誰もが言葉を失った。
私は、ぐっと唇をかみしめた。
涙が込み上げてくるのを必死でこらえながら、静かに自分の席へ戻った。
誰にも見られないように泣いた。カバンで顔を隠して。
ほとんど会話をしたこともないのに、なんであんなことを言うのだろう
ただ、胸の奥が強く締めつけられるようだった。
「明日から金髪でもええねん」言葉に救われて
泣いていることがばれないうちにと席を立った時
一緒にミーティングに参加していた私の隣の席の女性(冴島さん)が、
息を切らしながら戻ってきた。
小柄で普段から忙しく職場を駆け回っており、仕事が早い50代くらいの女性だ。
本当ならもう帰宅している時間だったはずなのに、わざわざ戻ってきてくれたのだ。
「さつきちゃん、大丈夫か?」
そう言って、冴島さんは目を丸くして私の顔を見た。
そして少し怒ったような声で続けた。
「あいつには、ちゃんと言うといたからな!」
私は驚いた。
「みんなの前であんなこと言うたらあかんって、きつく言うといた。
ああいう言い方は人としてあかんわ。」
その言葉を聞いた瞬間、私の目から大粒の涙がこぼれた。
すると冴島さんは、少しだけ笑いながらこう言った。
「なあ、さつきちゃん。
実はな、みんな知ってんねん」
「え…?」
「カツラなんも、みんな気づいとる。
体調悪いことも、細かい事は詮索せえへんけど、なんとなく分かっとんねん。」
私は言葉を失った。これまで人前では病気がばれないようにと
笑顔でいたし、フラッシュバックで大量の汗をかいても
「代謝がいいんですよ~」とごまかしていた。
冴島さんは、優しく続けた。
「でもな、誰も何も言わんかったやろ?トイレが長くても誰も責めんかったやろ?」
「それはな、みんな見てるからや。」
「さつきちゃんが、毎日どれだけ必死に働いとるか。朝早く来て掃除してんの私見た事あんねんで」
その言葉は、胸の奥に静かに響いた。
実は満員電車で倒れないように、比較的すいている早い時間の通勤をしていたから、
会社には早く着く。時間があるから掃除を毎日していた。
そして冴島さんは、最後にこう言った。
「明日からな、ピンクのカツラでも金髪でも、好きなんつけたらええねん。」
「見てみぃ?私なんか白髪染めめっちゃ大変やねんで~!」
と最後はオチまでつけて、私を和ませてくれた。
私は、その言葉に救われた気がした。
数日後、あの女性は別の部署へ異動になったと聞いた。
職場で働くことは、決して楽ではなかった。
つらいことも、悔しいこともあった。
それでも、こうして支えてくれる人がいる。
その事実が、私にとって何よりの救いだった。
働き続けた理由
働くことは決して楽ではなかった。
金銭面では確かに助けられていた。
しかし精神的には、つらいことも少なくなかった。
それでも、こうして支えてくれる人がいる。
その事実が、私にとっては何よりありがたかった。
働くことは、ただお金を得るためだけではない。
人とのつながりや、誰かの優しさに触れることでもある。
そのことを、この場所で私は学んでいた。

